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丹後七姫伝説
【小野小町(おののこまち)】
平安時代の六歌仙の一人、百人一首などで知られています。小野小町の伝説が残るのは大宮町。
【静御前(しずかごぜん)】
源平の激しい合戦の中で、その短い生涯を終えた悲劇のヒロイン。網野町の出身と言われています。網野町の磯集落のはずれには、静御前のはかない人生を哀れむように、小さな神社がひっそりと建っています。
【間人皇后(はしうどこうごう)】
聖徳太子の生母、間人皇后(はしうどこうごう)は、都の混乱を避けて、大浜の里(現丹後町間人)に隠棲されていました。里人たちの手厚いもてなしに報いようと、この地に間人(はしうど)という名を与えられたのです。
【安寿姫(あんじゅひめ)】
無実の罪をきせられ筑紫へと流された父を慕った幼い姉弟、安寿姫と厨子王丸。奴隷商人であった山椒太夫の魔の手から逃れた厨子王と、それを庇ったために一層むごい仕打ちを受けた安寿姫。厨子王は、京に上り、最後には憎き山椒太夫一族を滅ぼす事が出来るのですが、姫は、弟と二度と出会うことなく非業の最期をとげました。
【細川ガラシャ(ほそかわがらしゃ)】
細川ガラシャは、本能寺の変で、織田信長に反旗をひるがえし、山崎の合戦で討たれた明智光秀の娘です。
彼女は、細川忠興に嫁いでいたのですが、実家と婚家の狭間に置かれ、三年の間、弥栄町の味土野の地に幽閉されていたのです。この地に残る隠棲地を示す石碑の前には、参拝に訪れた若い女性たちから、悲運の人生を歩んだガラシャへの供物が今も絶えません。
【羽衣天女(はごろもてんにょ)】
日本最古の羽衣伝説と思われるものが、峰山町に残る羽衣伝説です。「丹後風土記」の逸文によると、磯砂(いさなご)山麓で七人の天女たちが水浴をしていたところ、そのうちの一人が土地の老夫婦に衣を隠され、天に帰れなくなり、仕方なく養女になったとされています。今も峰山町には、天女を祭る神事が受け継がれています。
【乙姫(おとひめ)】
玉手箱で知られる浦島伝説に登場するヒロイン。浦嶋子に密かに心を寄せていた亀姫であったとする説や、竜宮城の姫(室町時代以降)とする説など色々です。
伊根町には、この乙姫にまつわる伝説が残り、町内の宇良神社には「乙姫の玉手箱」や「乙姫の小袖」が残されています。
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